2013/11/14 00:00

コンテンポラリー・ダンスの音楽制作、映画音楽、そしてフィールド・レコーディング・アーティストなど、多岐にわたる音楽活動で世界を舞台に活躍するサウンドデザイナー、森永泰弘。そのユニークな音楽へのアプローチを具体的に提示するレーベル〈CONCRETE〉が発足した。彼は、これまでも、そしていまも世界のさまざまな地域へと出向き、現地でさまざまな音に触れている。現地のアーティスト、それが奏でられる自然環境の音、そして知られざる各地の過去のポピュラー・ミュージックなど、それは多岐にわたるが、それを彼なりのやり方で伝える、それが〈CONCRETE〉ということなのではないだろうか。今後も彼が直接現地で録音、収集した音源がリリースされるそうだ。

まずは第1弾として、このたびリリースされたのは、インドネシアの歌姫エンダ・ララスのアルバム。現地、インドネシアの伝統音楽の影響が色濃い、彼女の歌声とウクレレを現地で、その音が生まれた風景を閉じ込めるように、フィールド・レコーディング的な手法で制作したアルバムだ。

OTOTOYでは、このアルバムをハイレゾ、HQD音源(24bit/96kHz)で独占配信する。歌やウクレレのサウンドを包みこむ、現地の空気感まで高音質データでぜひとも聴きこんでほしい。また、森永が特別にアルバムには未収録の音源を用意してくれた。この音源をフリー・ダウンロードにてお届けする。

〈CONCRETE〉は今後、さまざまな音源がリリースされる予定だが、OTOTOYではまず2回に渡り、森永泰弘とはどんな人物なのか? そして〈CONCRETE〉の今後のリリースとは? ライター、大石始をインタヴュアーに迎えて掘り下げる。第1回となる今回は、そのプロフィール、そしてファースト・リリースとなるエンダ・ララスのアルバムについて話を訊いた。

>>フリー・ダウンロード曲はこちらから (〜2013年12月31日まで)<<

高音質音源で配信開始!

Yasuhiro Morinaga / Yasuhiro Morinaga presents Field Recording Series, Endah Laras (Surakarta, Indonesia)
【配信形態】
HQD(24bit/96kHz) / WAV(16bit/44.1kHz) / mp3

【配信価格】
HQD、WAV、mp3 すべて単曲 200円 / まとめ購入 1,500円
【Track List】
01. Bunga Anggrek / 02. LELAKI(Man) / 03. Rasaku Marang Sira / 04. Kroncong Selendang Merah / 05. Yun Ayunnnn / 06. Terbang(Fly) / 07. Pasar Gambir(Gambir Market) / 08. Joja Priyangan / 09. Gayatri Mantra ILir ILir

森永泰弘×大石始(ライター) vol.1

森永泰弘

インタヴュー : 大石始

形にあてはめられないものをおもしろく感じるようになった

――森永さんは最初、どうやって音楽に入ったんですか。

森永 : 4、5歳のころからクラシック・ダンスをやってて…… というか、やらされてて(笑)。最初はダンスとか身体表現に興味があって、意識的になったのは中学3年から高校生に入るころですかね。いま思い起こしてみると、形にあてはめられないものをおもしろく感じるようになったんだと思います。

――具体的に言うと、どういうものをおもしろく感じるようになったんですか。

森永 : 中学のころだとZOO(註1)とかをきっかけにストリート・ダンスをやるようになって。それが高校生になってから、(ジョン・)ケージ(註2)とかマース・カニンガム(註3)、勅使川原三郎さん(註4)の存在を知るようになって。当時、音と身体の相互関係に興味があったんでしょうね。彼らの公演や音楽、本に触れて、舞台上で鳴ってる音と、そこで動いている身体の関係性を日常生活に置き換えるとどうなるんだろうか、そういうことを考えるようになったわけです。

註1 : テレビ番組「DADA」をきっかけに結成されたダンス・ユニット。“Choo Choo TRAIN"のヒットで知られる。

註2 : 作曲家、思想家。東洋思想を採り入れた作曲方法〈チャンス・オペレーション〉や、4分33秒間無音が続く代表曲“4分33秒"などで世界的に知られる。

註3 : ポスト・モダン・ダンスにおいて先駆的活動を繰り広げた振付家、ダンサー。ジョン・ケージやロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズらとのコラボレーションでも知られる。

註4 : ダンサー、舞踏家、演出家、1985年にKARASを結成、国内外で活動を展開。近年はオペラの演出や映像作品の制作も行う。

――海外留学を経て、東京藝術大学大学院の映像研究科に入学されますよね。

森永 : 大学ではサウンド・デザインの勉強をしていて、コンピュータを使った作曲であるとかシステム・デザイン、音響設計など音にまつわるさまざまなことを学びました。専門的に学んでいたのは視覚芸術に対する音のあり方、具体的にいえば映画 / 演劇とダンスですね。日常生活に対する音と人間の動き、舞台上の演者の関係性がスクリーンのなかに移るとどうなるんだということに興味を持ち始めて。それからどんどん映画のほうに入っていったんです。

――その後パリに移られますね。ミシェル・シオンさん(註5)に師事されていたと。

註5 : フランスの理論家、研究者。ミュージック・コンクレートの作曲家や映画監督としても知られる。「映画の音楽」など著作も多数。

森永 : シオンさんからはたくさんのことを学びました。結構打ちのめされたのは、「音は音でしかない」という言葉。シオンさんももともと映画を作っていた方なんですが、視覚情報って合わさったときに片方は隠れてしまうけど、音は混ざって違う音になる。音ってすごく流動的で抽象的なもので、いま聴いてる音もここにはもう存在していないわけです。あとはミュージック・コンクレート(註6)ついての話。ミュージック・コンクレートがなんなのか、彼自身も答えをだしていないのです。でも、彼の話を聞くことで、僕なりに考えが膨らんでいったこともあって。決定的だったのは、〈固定音〉という概念を教えてもらったことですね。

註6 : 環境音や騒音、動物の鳴き声や電子音を加工・構成した現代音楽の手法。フランスのピエール・シェフェールを始祖とする。

――固定音?

森永 : 〈Fixed Sound〉って言うんですけど、まだ日本に入ってきてない言葉だと思います。これは録音に関する新しいアイディアで、音を記録することって、見方を変えればその存在または対象そのものを記録することでもあるんですよね。それをあるメディアの時間軸に沿って固定していく。そこで固定された音は、時間の中に刻まれるたモノとして動かすことはできないんです。この考えは単純だけど、制作をしていくなかでおおいに影響を受けました。

――その話はおもしろいですね。今回のフィールド・レコーディング作品にも繋がってくる話というか。

森永 : まさにそうですね。

なんでこんなにおもしろい場所、いままで知らなかったんだろう?

――フィールド・レコーディングに関心を持ちはじめたのは?

森永 : ハタチぐらいのころ、町中の音におもしろさを感じるようになって、ポータブルMDで録音したものをコラージュしてました。当時はヘッドフォンもイヤフォンもなしで録音してたんですけど、それがおもしろかったんですよ。僕はいつも音を聞いて驚きたいんです。後になって「こんな音してたんだ!」って記憶と対話するのが楽しくて。

――では、インドネシアとの繋がりはいつからはじまったんですか?

森永 : マレーシアの映画で『Bunohan(ブノハン)』(註7)っていう作品があるんですけど、僕も少し協力させてもらったんですね。その現場に来ていた編集のヤツがインドネシア人で、「ちょっとインドネシアに来ないか?」って言われたので遊びに行ったんです。そうしたら、藝大のころ参加した釜山映画祭の映画製作ワークショップで仲良くなった人と偶然再会して。さらに振付家の北村明子さんという方の『To Belong』(註8)っていうプロジェクトで音楽監督をすることになって、インドネシアによく行くようになったんです。

註7 : デイン・サイード監督による、2011年のマレーシア映画。タイ国境に近い架空の街、ブノハンを舞台にした劇映画。

註8 : インドネシアと日本のアーティストの国際共同プロジェクトとして2011年にはじまった、映像と音楽、ダンスのパフォーマンス公演。日本やインドネシアなど各国で上演が行われている。11月28日、29日に、新作To Belong-cyclonicdreamを長野県の茅野でワールドプレミアする予定である。

――実際にインドネシアを訪れてみて、いかがでした?

森永 : 僕、もともと東南アジアにそれほど興味があったわけじゃないんですよ。でも、行ってみたらヨーロッパよりも新しいものがどんどん出てきてるし、めちゃくちゃおもしろくて。映画の現場で言えば、日本ならば機材もあるし環境的にも恵まれてる。でも、東南アジアは持ってるカメラをみんな使い回して撮影してるんです。そういうヤツらとツルむようになって、アジアの魅力にグイグイ引き込まれるようになった。音楽もガムランとは違うものを知りたくなって、スラバヤ通り(註9)で聞き込みをしたり、レコードを探すようになって…… なんでこんなにおもしろい場所、いままで知らなかったんだろう? と思うようになったんです(笑)。

註9 : ジャカルタのチキニ駅近くの観光名所。1キロほどの通りに骨董品店などが立ち並ぶ。

――わはは、それはすごい。

森永 : なおかつ、インドネシアは本当に人がいいんですよ。ちょっとショックを受けましたね。日本人に近くて、思いやりがあるんです。

――今回『Yasuhiro Morinaga presents Field Recording Series, Endah Laras』がリリースされるエンダ・ララスとはどうやって出会ったんですか。

エンダ・ララス

森永 : インドネシアの映画監督でイファ・イスファンシャ(註10)っていう人がいるんですけど、彼と彼のガールフレンド――今は奥さんですけど――からエンダの話は聞いていて。僕もスラカルタ(註11)に行く機会があって、ガリン・ヌグロホ(註12)っていうインドネシア映画の巨匠といわれている監督が新作の舞台公演をするというので、そこで彼からエンダを紹介してもらったんです。

註10 : ジョグジャカルタ出身で釜山にある東西大学林權澤映画芸術学部で映画制作を学ぶ。『聖なる踊子』(2010年)などで国際的にも注目を集める映画監督。

註11 : ジャワ島中部の都市。かつてスラカルタ王国の旧都として栄え、現在もジャワ伝統文化の中心地とされる。別名ソロ。

註12 : 91年に『一切れのパンの愛』で劇映画デヴュー。以降、数多くの作品を監督してきた、インドネシアを代表する映画監督。

――インドネシアでエンダはどういう存在なんですか。

森永 : 決して大スターというわけではなくて、知る人ぞ知る存在という感じですね。彼女はなんでもできるんですよ。影絵やジャワの各地方の歌い方もできるし。エンダはお父さんが有名な影絵師だったんですね。お父さんからたくさんのことを学んだそうで、それでいろんなことができるんです。

――エンダの歌を初めて聞いたとき、どう思いました?

森永 : いやー、衝撃的でしたね。「日本にはこんな歌手いないでしょ!」と思ったし、日本に紹介したいと強く思いましたね。彼女はオリジナルの曲も歌うし、著名な音楽家の作品をアレンジしたものも歌うんです。このアルバムの中の音楽的な形式としてはクロンチョン(註13)に近いですよね。

註13 : インドネシアの音楽ジャンル。ポルトガル人によって持ち込まれたさまざまな音楽的要素とインドネシア現地のものが融合する形で16世紀に成立。世界最古のポピュラー・ミュージックとも言われる。ハワイアンにも似た大らかで優雅な音楽世界が特徴。

僕は音楽を通じてその人のことを知りたいんです

――レコーディングはワヤン・クリ(註14)の練習場でやったんですよね?

註14 : ジャワ島やバリ島で行われる伝統的な影絵芝居。

森永 : そうなんですよ。こういう諸民族的な要素を担った音楽ってスタジオでレコーディングするものではないんです。通常、開かれた場の屋外で演奏されるものですよね。そして自分の考え方や録音に関する手法やコンセプトも作品のなかで表現したかった。だから、その音楽家が育ってきた環境のなかで、なおかつ1番思い入れのある場所で録れば歌うときの感情も変わってくるんじゃないかと思ったんです。ひょっとしたらそこで鳴っている環境音も特別なものかもしれないし、決定的瞬間を録れるんじゃないかと。そういう思い入れって大事だと思ってて、今回はエンダの亡くなったお父さんのスタジオで録音したんです。実際、収録曲のなかにも彼女が泣いてしまったものがあったんですけど、本人から「それはやめてくれ」と言われたのでお蔵にしました。

――ワヤン・クリの練習場ということは当然、スタジオのように防音されているわけでもなく……。

森永 : 開けっ放しですね(笑)。エンダたちにとってはスタジオでレコーディングするのが当然のことなので、そういう環境でレコーディングするのは彼女たちにとっても不自然なことなんですよ。どこかからトカゲの鳴き声が聴こえてきてみんな演奏をやめちゃうんですけど、「続けることに意味があるから、予期せぬ音があってもそのまま続けてくれ」ってお願いしたんですね。彼らにとっても新鮮だったんじゃないかな。

――このアルバムにも虫の鳴き声がドローンみたいにずっと入ってますけど、それがノイズではなくてメロディーみたいに聴こえてくるんですよね。

森永 : 僕も録音しながらそこがおもしろかったんです。フィールド・レコーディング音源って、〈記述〉がないとどこの音か分からないんですよね。富士山で録ったものを「これ、エベレストの音だよ」って言ってもみんな信じちゃうだろうし。あと、機材とかマイクの数を増やして質感に頼ってしまうと、また別のものになってしまう。僕自身、スタジオで録音された民族音楽を聴いていても納得できないところがあって、だったら自分でできることもあるんじゃないかと。音楽はもともと精神性が宿っているものなので、豪華な機材じゃ収められない特別なものがあるというところに僕は惹かれているんです。もちろん豪華な機材だからこそできるものもありますが。

――インドネシアで長い時間を過ごしたからこそ辿り着く発想でもありますよね。

森永 : 僕もそのことは考えていて。そことパリで学んだミュージック・コンクレートの考え方が自然と関連していたんです。

――なるほど。さきほどのミュージック・コンクレートの話に繋がってくる話ですね。

森永 : そうなんですよ。ミュージック・コンクレートっていうと具体音で構成されるものとされますけど、シオンさんに言わせるとヴァイオリンの音も具体音だし、スピーカーを通じて鳴らされるものはすべて具体音なんですね。僕はそこに影響を受けてるし、録音の方法にも影響が出てると思います。

――ただ、ワヤン・クリの練習でのレコーディングは、環境としては過酷ですよね。そりゃ無音状態のスタジオでやったほうが全然楽でしょうし。

森永 : そうですね。あと、向こうでのレコーディングって常に病気との戦いなんです。いつ蚊に刺されてデング熱になるか分からない。僕、インドネシアから帰ってくると毎回40度ぐらい熱が出るんですよ(笑)。あと、音楽家とできるだけ長い時間を過ごすっていうのは大切なことだと思いますね。録音そのものよりも大事かもしれない。要はレコーディングもコミュニケーションだと思うんですね。何もないところから僕がマイクを出して「さあ、歌ってくれ」といったところで情動みたいなものは捉えられない。僕は音楽を通じてその人のことを知りたいんです。インドネシア人って仲間を大事にする人たちだし、僕もインドネシア語はできないけど、安心して音楽をやってほしいですから。

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EVENT INFORMATION

森永泰弘&エンダ・ララスと弦楽カルテットによるマルチメディア・コンサート
2013年11月22日(金)@長野県茅野市民館

日・ASEAN友好協力40周年記念事業
映像 / 音楽 / ダンス
インドネシア×日本 国際共同制作公演
「To Belong -cyclonicdream-」
2013年11月28日(木)、29日(金)@長野県茅野市民館
※森永泰弘が音楽監督を担当、エンダ・ララス出演

PROFILE

森永泰弘

サウンドデザイナー / サウンドアーキビスト

いま最も国際舞台で活躍している日本人サウンドデザイナー。

東京藝術大学院映像研究科博士後期課程を単位取得退学後、映画理論家 / ミュージック・コンクレート作曲家のミシェル・シオン氏に師事する。在学中より担当した映画が、カンヌ、ヴェネチア、ベルリン国際映画祭で上映され、国内でも話題となる。またミラノ・サローネ国際家具見本市やイタリア国立音響音楽施設テンポ・リアーレでは初の招聘アーティストとしてアーティスト・イン・レジデンスを行う。さらに英国立図書館とのコラボレーションにより、世界で最初に屋外録音を行ったとされているSir.Ludwig Koch氏のCDをリリースするなど活動は多岐に渡り、いま最も活躍している若手の日本人アーティストとして国外で紹介されている。

現在、森永は東南アジアと南イタリアを中心に少数民族の儀式や舞踊の音楽文化を調査しながらフィールド・レコーディングを行っており、来年からは中国南部の雲南省や貴州省でのフィールド・レコーディングの準備中である。これまで共同制作を行ったアーティストは園子温(映画)、勅使河原三郎(振付家)、田名網敬一(イラストレーター)、北村明子(振付家)など多岐に渡る。

>>森永泰弘 Official HP

この記事の筆者

[インタヴュー] Yasuhiro Morinaga

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