2024/05/01 18:00

坂本龍一、その人生を辿り、新たなる出会いをも残して──長編コンサート映画『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』

オトトイ観た Vol.1

『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』© KAB America Inc. / KAB Inc.

 OTOTOYの映画・映像作品評コーナー「オトトイ観た」、第1回は、没後約1年を経て公開された坂本龍一最後のピアノ・ソロ演奏を収めた長編コンサート映画『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』をお送りします。

今回とりあげる作品
『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』
音楽、演奏 : 坂本龍一
監督 : 空音央 撮影監督:ビル・キルスタイン 編集:川上拓也 録音、整音:ZAK
製作 : 空里香、アルバート・トーレン、増渕愛子、エリック・ニアリ 製作会社:KAB America Inc. / KAB Inc.
日本 / 2023 / モノクロ / DCP / 103分 / Atmos &5.1ch / 配給:ビターズ・エンド
ⓒ KAB America Inc. / KAB Inc.
公開 : 5月10日(金)より全国公開、109シネマズプレミアム新宿にて先行公開中
公式サイト


坂本龍一とまたここで会える。人生を辿り過去に挑戦する、最初で最後のピアノ・コンサート映画

──映画評 :『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』──
文 : 宮谷行美


『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』© KAB America Inc. / KAB Inc.

2023年3月に永眠した音楽家・坂本龍一による最初で最後のピアノ・コンサート映画『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』が、ついに日本公開を迎える。

本作は、2022年12月11日(日)に全世界配信されたオンライン・ピアノ・ソロ・コンサート〈Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022〉で公開された13曲に未公開楽曲7曲を追加した全20曲で構成される。坂本が亡くなる約半年前の2022年9月に撮影・収録され、事実上最後のピアノソロ演奏となった。

1976年のデビュー以降、国内外で幅広く活動し、“世界のサカモト”として数多くのアーティストへ多大なる影響を与えてきた坂本龍一。そんな彼が最後の力を振り絞り、演奏する姿を捉えた本作は、ヴェネチア国際映画祭でワールドプレミアが行われたのち、山形、釜山、ニューヨーク、ロンドン、東京と世界中の映画祭で賞賛を浴び、 ついに2024年4月26日(金)より東京〈109シネマズプレミアム新宿〉にて先行上映中、そして5月10日(金)より全国公開される。

信頼できるクルーらと共に作り上げた、コンサートのような映画

『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』© KAB America Inc. / KAB Inc.

『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』の監督を務めた映像監督・空音央は、本作の経緯について「コンサートを疑似体験できるような映画にしたかった」と語った。(注1)その通り、本編に映るのは、一台のグランドピアノとそこに向き合う坂本龍一のみ。それ以外、彼を説明するものや、撮影の裏側や思い入れを問うドキュメンタリー要素などは一切ない。

ストーリーのイメージボードから組み立て、慎重に撮影プランが練られたといい、全編モノクロという視覚的情報が削ぎ落とされた構成の中、正面から背面、左右、手元のクローズアップ、シルエットが際立つ引き画まで、あらゆる角度から坂本の姿を収めた。息を吸って吐く間、ごとりと鳴るペダルやハンマー、人生が皺となって刻まれた手、鍵盤が沈む一瞬。人が音を紡ぐという光景を生々しく切り取り、まるで彼が演奏する姿を直に見ているかのような緊張感や臨場感を映像上に再現する。

撮影は坂本自身が「日本でいちばんいいスタジオ」と評するNHKの伝説的スタジオ〈509スタジオ〉にて行われ、長年コンサートやレコーディングで愛用されてきたヤマハのグランドピアノ・CFIIISを用いて収録された。このピアノは2000年に坂本のためにカスタムメイドされたもので、艶光が抑えられたマットな塗装が印象的な一台である。演奏が終わるごとに専任の調律師が細かく調律を行い、徹底的にこだわられた“坂本龍一の音”を本作に残す。

そして、坂本龍一のほかFISHMANSや相対性理論など数多くのアーティストのレコーディングやライヴ音響でエンジニアを手がけるZAKが録音・整音を担当。微調整に微調整を重ね、坂本のこだわりを余すことなく再現したサウンドが堪能できる。こうして坂本龍一と信頼できるクルーたちの尽力によって、目と耳と肌すべてで体験する、まさに“コンサートのような映画”がここに完成した。

人生を辿り、過去の自分に挑戦する全20曲を収録

『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』© KAB America Inc. / KAB Inc.

本編冒頭、坂本のバックショットから始まるその一間に思わず息を呑んだ。その光景は、目の前にある楽譜やピアノ越しに、過去の自分と対峙するように見えたからだ。

死去するまでの数年、この世に“音楽家・坂本龍一”を残すための活動や作品が多く見受けられた。2019年から始動した『Art Box Project』では、その年に制作した音楽や活動を集約し、アート作品としてリリースした。また、2020年に行われた配信ライブ〈Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 12122020〉では、久しぶりの披露となった“Energy Flow”をはじめ、自身のキャリアを総括するような代表曲揃いのセットリストとなった。

そしてこの映画もまた、坂本の“何かを残したい”という希望から生まれた作品の一つである(※1)。演奏された全20曲は、坂本自身が選曲。代表曲として知られる“Merry Christmas Mr. Lawrence”、“The Last Emperor”のほか、生前最後のリリース作品となった最新アルバム『12』の収録曲、今回初めてピアノ・ソロで演奏されたYMOの名曲“Tong Poo”など、時代を超えてさまざまな楽曲が共演する。

さらに、村上春樹原作の映画『トニー滝谷』のサウンドトラックである “Solitude”や、時代とともに変化を遂げてきた名曲“Happy End”、実験音楽家・アルヴァ・ノトとのコラボレーション楽曲“Trioon”、オリエンタル三部作でタッグを組んだ映画監督・ベルナルド・ベルトルッチの死を悼んで書かれたという”BB”など、坂本自身が選曲しなければ並ばなかったであろうラインナップも印象的だ。

これらの選曲は、単なる音楽キャリアに留まらず、人との縁などを含む、坂本の人生そのものを辿るようである。そして、過去の自分へ挑むように、時折動かない身体に辛い表情を浮かべながら、時折「なんだ、できるもんじゃない」と楽しむように微笑みながら、一曲一曲を丁寧に紡いだ。この中には、本映像が最後の演奏となった楽曲がいくつもあるだろう。自身の最期と向き合い、選ばれたこの20曲の意図はけして明かされることはないだろうが、観劇後の人々の胸にじんわりと浮かび上がってくるはずだ

そして、この特別なセットリストを経てフィナーレを飾る “Merry Christmas Mr. Lawrence”は圧倒的なものだった。わずか30秒でできたメロディが人生を変え、“戦メリのサカモト”の異名を世界に轟かせた(※2)。そのイメージを打ち破ることに勤しんだ坂本が、晩年でその執着を手放し、ここに音楽家・坂本龍一の確かな代表曲として残した。その意味が、その想いが、全身全霊で紡ぐ音色の海とともに押し寄せてくるのだ。すでに配信時に観たという人も多いだろうが、本編を通して観ることで、また新しい衝撃に出会うことだろう。

闘病生活を経て衰えた自身の身体と闘い、命を燃やしながらピアノを弾くその姿はとても美しく、静かな迫力に熱いものが込み上げてくる。「芸術は長く、人生は短し」という言葉を痛感するが、間違いなく彼の魂はここで生きている。この作品を通して、私たちは何度も坂本龍一に会うことができるのだ。

映画館という空間がコンサート会場となり、ピアノの演奏に劇場内のあらゆる雑音や人の呼吸、布擦れの音が混ざり込むことで、ピアノ・コンサートが完成されていく。『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』もまた然りだ。ひとつひとつの呼吸に、指の動きに、表情に、美しい音色に、目を奪われ心が震える。こんなにうれしいことはない。

「最後だから劇場で」なんていう触れ込みは避けたい。私たちは失ったものを見送りに行くのではない。坂本龍一に会いにいくのだ。

公開情報
『Ryuichi Sakamoto ǀ Opus』
5月10日(金)より全国公開、109シネマズプレミアム新宿にて先行公開中
くわしくは下記、公式サイトをごらんください
https://www.bitters.co.jp/opus/



注1 : 「父、坂本龍一が言った「何かを残したい」 空音央が映した静かな背中」『朝日新聞デジタル』2023年9月8日の記事より
https://www.asahi.com/articles/ASR980FSLR97ULZU00G.html
注2 : 『『戦メリ』を超える曲はもう目指さない ガン闘病中の坂本龍一の心境』『新潮社 新潮』2022年7月号 掲載記事より /『ブックバン』
https://www.bookbang.jp/article/733538



その他、坂本龍一の作品はハイレゾ / ロスレス(CD音質)でOTOTOYで多数配信中

この記事の筆者
宮谷 行美 (Pikumin)

音楽メディアにてライター/インタビュアーとして経験を重ね、現在はフリーランスで執筆活動を行う。坂本龍一『2020S』オフィシャル・ライターを務めたほか、書籍『シューゲイザー・ディスクガイドrevised edition』への寄稿、Real Sound、日刊サイゾーなどのWebメディアでの執筆、海外アーティストの国内盤CD解説などを担当。

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